Morrissey #011
出掛ける時は基本カメラを持っている。
なんかもうほぼ癖になっているが、出掛ける時は基本何かしらのカメラを持参する。
基本家の周囲2km範囲で写真を撮っているので
毎回見る景色はほぼ同じ。
その中から何か捻り出す作業に今の所はやりがいを感じている。
写真を色々撮りたいので、実際ネットであちこちの写真スポットを調べたり、「いいな」と思った写真が
どこで撮ったものなのか、とかは調べるのだが
いざ行ってみるとなかなか指が動かない。
思ったより撮れないのだ。
これ一体どういうことか、と考えると
自分自身の性癖に関連しているのではないかと思い始めた。
個人的、かつオジサンの性癖なんぞ興味もないだろうが
僕自身、同じ女性と合戦するのが好きなのだ。
いや、初めての刃を交える事ももちろん好きなのだが、
引き出されるポテンシャル量の差で考えると、前者の方が圧倒的に高い。
走った事のないコースや道をアクセル全開で走れる人はそう多くない、という意味だと思う。
出たとこ勝負の瞬発力型ではなく
Lapを重ねる事に良さを引き出していく周回型だと自分自身を分析しているので
地味に同じことを繰り返す中でトライアンドエラーで結果を修正する方式が自分にあっている。
ので、1回目より2回目、2回目より10回目の方が
より質の高い合戦が出来るという理屈です。
とは言え、それと相反する性格として、まぁまぁ飽きやすいという側面もある。
これは同じ女性と合戦を繰り返すという行為に対してはなかなかの障害。
そうですね・・これは難しい問題ですよね。
僕はだいたい、場所を変える、とか、自分の中のルーティーンを壊すとかで乗り越えます。
例えば体位のローテーションとか悩みません?
挿入からフィニッシュまでの流れがお決まりのド定番で推移していませんか?という話です。
これ定番が故に安心して何も考えず楽しめる、という側面も持つので定番で流す事を悪だとは思っておりません。
が、自分自身にその最中に失望する事ってないですか?
定番で鉄板を繰り出す事で自分自身が己のアウトプットの限界を決め、現状維持に満足しているのではないか?と。
行為中はほとんど本能と快楽に支配されていますが、時々冷静さが覚醒するときありますよね?
打算的な考え、というか。
あの瞬間に、ああ、また同じコースですね、それでいいんでしょうか?という囁きが来るのです。
その時の葛藤。
それと同じような葛藤を日々抱えながら、僕は写真を撮っているように思います。
つまり、僕にとって写真を撮るというのは、まさにセック・・・
話が脱線しすぎましたね。