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知ってると思うけど、相変わらず写真を撮り、
無駄に機材を売ったり買ったりしています。

彼是、3年くらいクソ真面目に写真と向き合う生活をしてきまして
ちょっとビビるくらいの散財を繰り返してまいりましたが、
その額には全く比例せずに自分の腕やスキルが上がった感はあまり感じません。

が、最近、すごく大きな発見というか、自覚したことがあるので
折角なので文字として書き記しておこうと思いました。

これ別に今の今で気づいたことじゃなくて、前から当然知っていたことなんですが
ガッチリ腹落ちするというか、「理解・自覚」に至り、「確信」に変わったのが
正にここ数日、いや、昨日撮った写真を見ながら、かな。

勿体付けずに早速結論を書くと・・

どんなに凄い写真家でも、もちろん僕自身でも、時間を遡って写真を撮る事は出来ない。

え?
クソ当たり前?

そうですよね。
最近はほんの1秒前くらいなら遡れるカメラありますが、そういう単位じゃなくて
「ああ、さっきのところ、こう撮れば良かった」みたいな時間軸の逆行の話。

文字にするとなんとも伝わりにくいし、急に青臭い感じが出るので恥ずかしさ120%なのですが
出し切る事が大事だと思うので手を止めません。

例えば昨日行ったぶなお君の結婚式。
会場には会場付き、手配されたスチル・映像両方のカメラマンが一杯居ました。
彼らはプロで、かつ専門性のあるウェディングという状況に対しての理解が深いので
どういう風に撮ると「素敵なウェディングPhoto」が撮れるのか知っています。
僕は一切知りません。

でも僕が撮りたかったのは、ウェディングのメインの様子ではなく、
そこに参加している友人たるオジサン達。

プロのカメラマンが撮った写真を見た訳じゃないんだけど、
昨日の写真は「あ~なんかいい写真撮れたな~」って思う写真が多かった。
オジサンの個性・特性が滲んだ写真が多い。
プロのカメラマンに向けられたカメラにこの顔はしないよね、という写真。

オジサン撮るのに慣れてるからっていうのはあるんだけど、
切ない話になりますが、オジサンの寿命と言うのは有限なんですよ。
もしかしたら、今日ニコニコしていたオジサンが明日ぽっくり死んでいるかもしれない。
オジサンである僕自身も例外ではありません。

そうすると、「僕の持つカメラに向かってニコニコするオジサンの顔」は二度と撮れないし、
僕が死んだら「普段ニコニコ顔を撮ってくれるヤツがいなくなる」ので同じくオジサンのニコニコ顔は二度と撮れません。

まぁ、オジサンがニコニコしてなくてもいいんだけど、
要はその一瞬は、その瞬間にしかない、という当たり前の事を再認識したという事。

その瞬間はオジサンの限りある寿命の一瞬をとらえたものなのだ、ということ。

なんとなくシャッターを切るのではなく、ちゃんと一瞬一瞬アウトプットをイメージして
持てる力全てを投入し、その理想形に近づける努力をした上で
その一枚を撮らないといかんな、という事です。
例え被写体が小太りのオジサンでも。

これはオジサンに限らず、毎日撮ってるどんさんや、散歩道の他愛もない風景にしても同じです。

どうしても写真と言う趣味は、他人と比較したりされたり
望んでも望まなくとも他者の基準で評価されたりしがちです。

良いとか悪いとか。

好意的な評価をされた時は、大した努力をしていなくても嬉しいものですが、
批判的な評価をされるとなにかと言い訳したくなったりします。
が、その時持ち合わせた力を出し切ってのソレなら、なんとか納得も出来ようかと思うんですよね。

「趣味なんだから楽しく撮ればいい」という事でもあると思うんだけど
僕の価値観としては

事前にしっかり勉強したり準備をしたり考察を重ねたりした上で
本番で実力を発揮出来て結果が伴った時。

例えそれが毎日のどんさんの散歩での一枚だったとしても
「楽しい」と感じるような気がしているので
バカみたいなこんなマインドセットで今日この瞬間からはシャッターを切ろうと思います。

撮った事のない被写体や場所にも頑張って挑戦しないといけないですね。

面白いもので、そうやって撮った時の写真は、
1年、2年経った後でも、こんだけ枚数撮ってても鮮明に思い出すんですよね、その時の情景を。

なので、趣味だからこそ、クソ真面目に取り組むというのは
凄く大事なのじゃないかなと思います。

え~
なんの捻りもなく書き上げてみました。
最近は「早くZ8来ないかな」しか思いません。

Author: ponte