先週まで忙しかったんですけどね。
急に暇です。
種類は違えど基本オタク体質なんですよ。
オタクは自分の趣味については延々と語れてしまう。
聞いてもいないのに蘊蓄を述べたり、自慢をしたり、主張をしたりする。
ウザいですね。キモいですね。
僕も暇が故にここ数日ブログを何回も書いてはいるのですが
勢いよく下書きを終えるんですが、読み返すとキモ過ぎるオタク臭が満載で
ほとんど全部消します。
公開出来ないくらいの拗らせオタク構成がウザい。
オタク要素の拘りは自分の胸の奥にグッと溜め込んで、黙って寡黙な方がいいんです。
とはいえ、黙っているとブログにならないので何かしら書くわけなんですが
勢いに乗るとすぐにウザくなる。この蛇口の開け具合が難しいですね。
そう書いた瞬間に、文章が続かなくなりました。
何かに例えてみよう。
そうだな、カレー。
カレーみんな好きでしょ?
前に「ウンコみたいだからカレー嫌い」って言ってたヤツいるんだけど
毎回そんなゲル状じゃねぇし、なんなら前にインド料理屋で出て来た
なんて名前か忘れたけどインド版つくねみたいな肉料理は
出てくる段階で既に棒を引っこ抜かれてたから、かなりウンコっぽかったけど
普通に美味かったよ。
逆に「カレー味のウンコ」はどうよ、って話。
個人的に臭いも味も完全にカレーならイケる可能性多いにあるよね。
だって、よくわからない汚い立ち食いソバ屋みたいなところで出てくるカレーが
カレー味のウンコを出せる特異体質のおばちゃんのウンコじゃないって100%言い切れないよね。
SDGsじゃないの?
美女のウンコなら喜んで喰う世界観もあるのだから、味が完璧ならイケるよねきっと。
ダイレクトに盛り付けられるとキツそうだけど。
つまり、カレーも色々あるじゃないってこと。
オカンが作る自分にとってのルーツみたいなカレーに始まり
ココ壱的なカレーな感じから、スープカレーとか、インドのカレーとか。。
カレー大好きなこだわり派からすると
この店のこのカレーが一番!みたいなのあるけど、そうでもない人からすると
まあカレーはカレーですわね、って事。
なんの話だっけ。
ああ、そう。
クソこだわって48時間くらい掛けて作るカレーがあるとして
一方で40分くらいで作るカレーと対決した時に
「ほとんどの人に明確に分かる差」がそこに無ければ
その48時間かけてつくるカレーの47時間と20分は無駄な蘊蓄って事になる訳です。
48時間かけて作った、って事が大事な人もいれば
40分で出来て48時間のヤツと大きく劣らない事が凄い、って人もいるだろうし
どちらの場合にしても最も大切なのは「カレーとして美味しいかどうか」じゃないですか?
要は一般人にわからない差なら、クソみたいな蘊蓄の類なので赤面しながら黙っとけって事。
ちなみに本日の写真、定価では40万弱、中古でも30万弱の50mm単焦点レンズで撮ってます。
さらに言うなら、2万くらいの50mm単焦点レンズでも同じような写真を撮れる自信があります。
じゃ2万のレンズでいいじゃない?って思うでしょ?
そうなんです。わざわざ40万出して買った機材で2万と同じ結果なら意味がないんですよ。
ではなぜ40万のレンズが売っているのか。皆それを欲しがるのか。
1つは「希望」なんだと思う。40万のレンズを買えば俺もすごい写真が撮れるんじゃないか。
40万のレンズで撮ったんだからこの写真は凄い。と思いたいのかも知れない。
僕思うんですよ。
弘法筆を選ばず。って言うでしょ。
弘法っていう坊さんクラスになるとどんな筆でもえげつないの書くよって意味だと思うんですけど
要するに「一定のクラスに達していると」、どんな筆でも良い感じに書ける
の裏返しは良いとこまで達してないと、ダメな筆ならダメな感じになるんですよ。
もちろん良い筆持っても、そこそこなんじゃないかな。
つまり、世界観とかアウトプットのイメージを明確に持てていて
そこに到達するロジックが明確にされると「筆を選ばず」モードになるんじゃないでしょうか
って事。
そういう意味では、毎日のどんさんの散歩がてら撮る写真という狭い範囲においては
「ポンテシアルそんなに筆を選ばず」状態にはなったし
逆にもう頭打ちなのかなって感じた。
要するに機材がどうの、とか機材を変えてももうあまり変わらないので
より楽しい・気持ちいいにシフトしようかなと思って
ちょっと古い、ちょっと良い機材を最近は選んでます。
若い娘を求めても次から次に登場する訳ですよ。
そこじゃなくて、ぽってりとした熟女が良いじゃないか、という話だと思って頂いて結構です。